春
Spring · Mar–May
- 山菜採りMarch
- 筍掘りApril
- 田起こし、田植えApril–May
- 茶摘み、草餅づくりApril
- よもぎを摘み、干すMay
On Shigoto — the work of living
ローカルライフニストとしての、しごとの定義
「しごと」という言葉には、二つの意味があるように思います。
ひとつは、外に出て、誰かから報酬を得るための行為。もうひとつは、今日一日を生かしめるために、手を動かすこと。現代は、前者ばかりが「仕事」と呼ばれるようになりました。
けれど、田舎で生まれ育ったわたしには、その線引きがどこかぎこちなく感じられます。祖父母の世代は、どちらがどちらとも言わずに、ただ、朝起きて、畑へゆき、ご飯をつくり、雨戸を閉めました。それら全部を、「しごと」と呼んでいたのです。
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ローカルライフニストとしての「しごと」の定義は、きっとこの、暮らしに溶け込んだ手のうごきのことです。稼ぐためだけの労働ではなく、生きることと地続きの、日々の営み。
ふりかえってみれば、日本の神様は、よく働きます。
天照大神は、機を織っておられました。保食神は穀物と食物をつかさどり、稲荷は稲を実らせ、大国主神は国をつくる。田の神さまは、春に山から里に降りて田を守り、秋になると山へと還ります。高天原の神々にも、それぞれに役目があり、日々のつとめがありました。
神様にすら「しごと」がある。そう思うと、わたしたち人間が働くこともまた、どこか尊い営みに思えてきます。
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そもそも「しごと」という言葉は、「仕える事」から来ているといわれます。誰に仕えるのか。お客さまに、家族に、田畑に、季節に、そして神々に。誰かや何かに手を差し出す行為そのものが、しごとなのです。
お米をつくり、味噌を仕込み、漬物を漬ける。朝の洗濯物を干すことも、夕餉の支度も。それらは「生活」と呼ばれる一方で、確かに「しごと」でもあった。日本人にとって、仕事と暮らしは、長らく一枚の布のようにつながっていたはずです。
近代化のなかで、わたしたちは「働く時間」と「暮らす時間」を分けることに慣れました。けれど、それは本当に豊かな分け方だったのか。ローカルライフニストとしての問いかけは、ここから始まります。
田舎で生まれ育った人なら、おそらく覚えていると思います。
祖父母の一日は、しごとで出来ていました。けれどそれは、会社に通うしごとではありません。畑のしごと、台所のしごと、家のしごと、里のしごと、そして季節のしごと。一日のなかに、幾つもの手のうごきが折り重なっているのです。
| 04:30 | 起床。かまどに火を入れ、湯を沸かす |
| 05:00 | 畑に水をやり、朝露のうちに菜を摘む |
| 06:30 | 朝餉。家族の顔を見てから、また畑へ |
| 10:00 | 味噌の樽を返し、梅の様子を見にゆく |
| 12:00 | 昼餉。畑の野菜で、簡素な一膳 |
| 14:00 | 漬物を仕込む。季節の野菜を塩で揉む |
| 16:00 | 近所に漬物を分ける。縁側で小さな立ち話 |
| 17:30 | 夕餉の支度。かまどで米を炊く |
| 19:00 | 雨戸を閉め、仏壇に灯をともす |
| 21:00 | 就寝。明日のしごとを、そっと思い浮かべて |
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朝起きて、夜眠るまで、手を動かしつづける一日。けれども、祖父母のそれは決して「忙しい」とは言わなかった。しごとが暮らしそのものだったから、わざわざ区別する言葉がいらなかったのです。
一年のなかには、決まった季節にだけ現れる「しごと」があります。
梅仕事、味噌仕事、干し柿仕事。それぞれのしごとには、それぞれの旬があり、一年に一度きりの約束です。その機を逃すと、また来年まで待たなければなりません。だから田舎の人びとは、暦と天気と、身体の感覚で「時」をはかるのが、とても上手でした。
春
Spring · Mar–May
夏
Summer · Jun–Aug
秋
Autumn · Sep–Nov
冬
Winter · Dec–Feb
こうして並べてみると、一年を通して、何かしらの「しごと」が続いていることに気づきます。暦が変わるたびに、台所の仕事も、畑の仕事も、ゆっくりと姿を変えていく。季節そのものが、わたしたちに「しごと」を授けてくれていたのです。
一日のなかにも、いくつもの「しごと」が並んでいます。
台所に立つこと、畑で土に触れること、家を掃きととのえること。それぞれは小さな手のうごきですが、繰り返されるうちに、暮らしの骨格をかたちづくっていきます。
畑しごと
Hatake · Field
朝いちばん、土の温度を手で確かめる。種を播き、水をやり、雑草を抜く。土とのやりとりは、急かすとうまくいかない。天気と作物の気分に耳を澄ませながら、ゆっくりと進める、静かなしごと。
台所しごと
Daidokoro · Kitchen
米を研ぎ、味噌を溶く。畑で採れたものを、どう食べるか手が考える。刻んで、焼いて、煮て、漬けて、冷ます。日に三度、家族のためのしごとが、台所から生まれ、また台所へ還っていきます。
家しごと
Ie · Home
朝の光を部屋に入れ、洗濯を干す。季節の花を玄関に一輪。雨戸を開け、灯をともし、閉める。家を整えることは、そこに暮らす者の心も整える。見えにくいけれど、なくてはならないしごと。
仕事は暮らし、
暮らしは仕事。
Fumiko Shimazaki · Local Lifenist
わたし自身もまた、事業を営む人間です。
暮らしの森、日々ベーグル研究所、ベーグルの学校。法人を立ち上げ、従業員を雇い、会計を見て、契約を交わす。現代的な意味での「仕事」は、今日もわたしの一日のなかにあります。数字を追いかける時間も、書類に向かう時間も、等しく、大切な時間です。
だからこの文章は、近代の仕事を否定するためのものではありません。会社勤めを悪く言うためでも、田舎暮らしだけを美しいものとして持ち上げるためでもない。両方が、必要だということを、まずいちばんに言っておきたいのです。
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ただ、その両方を、どう重ねるか。そこに、わたしの問いがあります。
朝に畑へゆき、昼にメールを返し、夕餉の支度をする。梅を仕込んだ翌日に、スクール生と話をする。ベーグルを焼く工程を設計図にしながら、季節のしごとも手放さない。近代の仕事と、暮らしのしごと。両者が別の部屋にあるのではなく、ひとつの家のなかで、ゆるやかに行き来できること。
それはきっと、昔に戻ることではなく、いまの時代にあった暮らしへと、昇華させていく営みなのだと思います。祖父母の手のうごきをそのまま真似るのではなく、その感覚を、現代の働きかたのなかに織り込みなおす。効率や規模も大切にしながら、その傍らで、梅の樽をのぞき、味噌の香りをたしかめる。
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暮らすことと、働くことが、別々のものではない生き方。
それは、ローカルライフニストとしてのわたしひとりの答えではなくて、これを読んでくださっているあなたと、一緒に探っていきたい問いです。都会で働く人にも、田舎で暮らす人にも、両方を行き来する人にも、それぞれの場所から重ねていける形があるはずです。
神様にしごとがあり、祖父母にしごとがあったように、わたしたちにも、それぞれの手のうごきがあります。今日という日を、自分の手でつくる。その営みを、これから少しずつ、共に探っていけたらと思っています。